え? 「もうひとつのエピソード」って、どういうことかって?
俳優・阿南健治ホームページには載せられない、
私発の「阿南健治との関係」をここに書いているからです。
今は忙しくてむかしの手紙など、
裏付けるものを探せずにいますので、
記憶にたよって徒然に書き出してみたいと思います。
阿南とは、高校1年生のときの同級生。
悪いけど、高校の時の阿南と話しをしたという記憶がない。
早い話が、そんなに親しくなかった。(遅く言ってもそうだが・・・)
覚えていることと言えば・・・
- ひどい音痴(オンチ)
- ありゃ天才的やった。去年の「ミュージカル『銀河の約束』に出演」と聞いた時、
「ええっ! 歌うんかお前」と思った。
「歌はなかった」と聞いてホッとした。
- 高校3年の文化祭
- 阿南オンステージには参った。
音が外れてるのにステージにいる
阿南のクラスは異様な盛り上がりを見せてた。
本格的な付き合いと言えば、アメリカからエア・メールが届いてから。
「誰や。外人に友達なんかおれへんで・・・」
中を開けて見たら読みづらい日本語で書いてあったが、安心した。
なんで私に手紙よこしたのか、その記憶がないけど、
高校1年5組の連中って、今も続いてる・・・そういう不思議なつながりがあるな。
『カーボーイになる』って書いてあった。
「なんでまたカーボーイに・・・変なヤツ」と思った。
それ以来、文通でのやり取りが続くことになる。
『お金が無くなって途方に暮れてる』という手紙。
「何してんねん」と思ったけど、お金は送らなかった。
・・送り方を知らなかった。
気が付くとウィスコンシンにいた。
そのウィスコンシンからは、
『ボスとケンカした。英語じゃ埒(らち)があかん』と書いていた。
確か「日本語でやり返せ」と返事したよう思う。

どさ廻り時代 '85.1.9 海田温泉(広島)で
若っかいなー、二人とも・・・ 「ピース」なんか今どき流行らん (23歳) |
また前ぶもなく住所が変わってニューヨークから届いた、
『ビザが切れたけど、金がなくて帰れない』と書いてあった。
やはり送金方法を知らなかった。
(アメリカで何してたか、「笑っていいとも」見てやっと分かった。)
どないしてんねやろ・・・と思っていたら、
いつの間にか東京に帰ってた。
「帰れんかったんと違うんかぃ」と、チョットだけ思った。
どさ廻りで海田温泉(広島)に来たときは、すっごく嬉しかった。
ご祝儀は大枚叩(はた)いて、舞台へ投げたように記憶してる。
そうアメリカへ送金できなかった分も入れて・・・
移動のたびに他愛も無い手紙をくれた・・・
そしたら、いまは東京に住んでるって・・・

東京サンシャインボーイズ時代
'90.12.29 神戸公演 楽屋にて ずっと照れ臭そうにしてた (29歳) |
阿南からのたよりは、いつも唐突やった。
「劇団」のちらしを送ってきた。
それが東京サンシャインボーイズやった。
今度、神戸で公演があるから・・・と。
神戸なら実家に帰れば近い・・、
カミさん連れて、親に子ども預けて、喜んで観に行った。
実はああいう舞台を観るのは初めてで、最高に良かった。
演出家が素晴らしいと、素人目にも思った。
阿南の芸風は、「大衆演劇のままやなあ」と思った。
それが嬉しかった。
阿南は、
まわりの人間を元気付ける不思議な力を持ってます。
阿南が頑張ってるところをみると、
こちらも「頑張らねば」と思ってしまうんです。
随分、元気付けられたように思います。
ホームページのマスターを引き受けたのは、
その恩返しのつもりなのかも知れません。
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