FujiMan Production - 徒然日記 -
2006/11/01 いじめ社会
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 いじめ が後を絶ちません。悲惨なのは、自分で命を絶つこと。
 いじめは、いじめるほうが絶対に悪い。いじめた側が死んだ事例を知らないから…というのもありますが、いじめられる側を責めても何も解決しないと思うからです。
 どこかの校長が「いじめかどうか憶測の域を出ない」とかコメントされていましたが、状況から考えて、まずは「いじめ」と受け止めるべきではないかと思います。 確かにいじめた側にとっては「いたずら」とか「からかい」のつもりかも知れませんが、いじめられた側が「ツライ」とか「苦しい」とか、「いじめ」と感じたとき、いじめと認定すべきです。 そして大人たち…とりわけ教育者は、それをいち早く察知して「死ぬこと」まで追い詰めないように気を配り、行動しなければならないと思います。 そういう意味では、子供の死を前にまだ「憶測の域を出ない」と発言する校長は教育者失格どころか、大人失格と言っておきたいと思います。
 貧困から満足に食べるものがなく、栄養失調で死んでいく弱い子供たちを救えない国の、貧しい大人たち...。 いじめから逃れるために死んでいく子供を救えない国の、心貧しい大人たち...。学校だけでなく、職場や、社会の中にもいじめに似た構図が広がってしまっているように思います。
 ひとの上に立つポジションに就いた途端、自分が偉くなったと勘違いして相応しくない発言をする大人たちも最近見ました。 不履修問題もそう、文科省の大臣発言はもっともですけど、校長ひとりの命と、8万人に及ぶ学生たちから350時間の時間を奪いました。…なのに、なぜ威張るのでしょうか。いじめの問題と根っこは同じだと感じます。

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