ICRP(国際放射線防護委員会)が決めている三原則は次のようなもので、とても理解しやすく、受け入れやすい考え方だと思います。
- 1.行為の正当化
- 放射線被曝を伴う行為は、それに見合う利益と釣り合わなければ採用するべきではない
- 2.放射線防護の最適化
- 個人線量の大きさ、被曝する人数などを、経済的、社会的要因を考慮に加えた上で、合理的かつ達成可能な限り低く保つべきである
- 3.個人の線量限度
- 行為の結果生ずる個人の被曝は線量限度に従うべきである
これら3原則は一貫した体系として扱うべきであり、どの一部分も分離して扱うべきではない
|
基本的には、自然放射線量以外の放射線被曝はあってはならないという考え方だと解釈すると理解しやすいと思います。
人類が放射性物質の利用を始めた瞬間からこの考え方は通用しなくなります。もう自然放射線だけが存在する状態でなくなったという意味でです。
小さな実験室で扱っているうちは、その人工放射線の影響は微々たるものでしたが、原子力という大きな力を利用しはじめると全地球規模でその放射線の影響を受けるようになってきました。
放っておくと地上は人工の放射線だらけになってしまいますので、歯止めをかけなければなりません。その影響を最小限にするために決められた線量限度が1mSv/y(ミリシーベルト/年)で、
この基準は個人に対しての許容線量になりますが、それに見合う利益とは「社会的な利益を供する」という意味での利益ということになります。
つまり、原子力の平和利用のための研究とか、技術開発とか、そして原発とか、そういったときにどうしても人工的な放射線が放出されてしまいますので、これだけはみんなで許容しようということだと私は解釈しました。
個人の受ける行為で、たとえばX線写真を撮るときに被曝するわけですけど、病気を診断するという利益があるので釣り合うわけですよね。
今回の福島第一原発事故で、福島県内の幼稚園、小学校の被曝線量を20mSv/y(ミリシーベルト/年)に引き上げるには、それに見合う利益を与えなければ釣り合わないことになりますので、
これでは「我慢しろ」と言い放っているだけだっていうことになってしまいます。その後も、政府は除染もせずに放置しているわけですから、「2.放射線防護の最適化」にも
「3.個人の線量限度」にも反することになります。この基準引き上げは、政府や関係機関の責任回避としか私には映らないので非難するわけです。
2011年 8月 4日 赤沢富士男
|