本当に電力需要のために原発がないと電力が供給できないという(前提がある)のなら、いますぐに原発を止めて解体しろとは言いません。
そもそも、原子炉を止めたところで、そこから何十年か冷やす必要があるということですから、原発を完全になくすには半世紀以上かかりそうな話です。
そして使用済みの核燃料は、安全な放射能レベルに下がるまで待つと、生物の進化の歴史が変わるほど気の遠くなるような時間がかかるようですから、
いますぐ原発を止めても放射能の危険は消えません。だからといってこのまま続けていいということではありません。
少なくとも現在のエネルギー政策から「原子力」をすぐにはずして、原発を廃止する方向へ舵を切って欲しいと思っています。
チェルノブイリ事故の時、原発は一度事故を起こすと制御が難しそうだから、電力を原発に頼るのはよくないかもなあ…と、私は漠然と思うようになってはいました。
でも、日本は原爆に苦しんだ唯一の国でもあるし、地震大国でもあるし、それだけに技術も高いし、ちゃんと管理・運用できていると、ある意味日本の原発の安全性を信じていたところがありました。
今回の福島第一原発の事故を見て、その心配がこの国で現実になり、原発の安全性に対して強い不安を抱きました。それにも増して私を不安に陥れたのは、それからの原発事故への対応です。
東京電力さんも、政府も、諸関係機関も、御用学者と呼ばれる専門家たちも、そしてマスコミも含めて、彼らに原発に対する信頼が完全に裏切られたと思いました。
彼らはまったく国民のほうを見ていないように思ったからです。「想定外」だったといい「仕方のない事故」に済ませてしまい、暫定となんとか言いながら基準値を一方的に上げて対策を後回しにしたり、
責任逃れの自己保身に終始しているようにしか見えなかったからです。これはいまでも続いていて変わらないように見えます。
そんな隠蔽体質、自己保身、責任転嫁…こんな人たちに原発の管理を任せていたんだと思い、これからは任せられないと思ったのも「原発は要らない」理由のひとつになっています。
こちらの理由のほうが圧倒的かも知れません。
ここで原発を容認する方は、「だったら対案を出せ!」と言われるんでしょうけれど、私は原発の専門でもないし、エネルギーの専門でもないし、経済の専門家でもないし、
その上、判断できる情報や知識も揃ってるわけじゃないし、対案なんか出せるわけないじゃないですか。おかしなことを言うなあと思ってしまいます。
対案は出せないけれど、ソフトバンクの孫さんが目指してるようなメガソーラー構想(自然エネルギーや再生エネルギーの利用)は支持したいと思っています。
2011年 8月 2日 赤沢富士男
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