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万葉の世界(2)
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ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに
 MIDIコーナーにある自作曲「今宵」は、万葉集の解説書を読んで思いついた恋歌です。 万葉の時代の恋は、とにかく男性が女性のもとに夜通っていましたので、女性はひらすら男性が来るのを待っていたわけです。

ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに

 とくに「今宵」では、〜 家の外へ出て、「私の靡く黒髪に、霜がついたってかまわない」 〜と詠っている歌に惹かれて作った記憶があります。

 この歌の作者は、仁徳天皇の正妻「磐姫(いわのひめ)皇后」で、大変嫉妬深い人だったようで、古事記に「地団太踏んで猛烈に嫉妬した」との記述があるそうです。

 この歌は、ご主人の仁徳天皇を思って作った四首連作のひとつで、磐姫はご主人を大変愛してらした様子がよく分かります。
君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へに行かむ 待ちにか待たむ
君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へに行かむ 待ちにか待たむ

 『あの方のお出かけはもう日が長くなった。山へ迎えに行こうかしら、それとも待ちに待っていようかしら』と詠んでいる歌です。

 昔の恋は、男性が女性を訪ねていくわけですが、これは天皇とて同じです。
 磐姫は、迎えに行こうか、待っていようか、行こか戻ろか…ともうじっとしていられないという気持ちです。

 ああ思い、こう思い、いてもたってもいられない恋の悩みは、いつの時代も同じです。 メールしようかしら、メールが来るのを待とうかしら・・・(^^)
かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐根し枕きて 死なましものを
かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐根し枕きて 死なましものを

 磐姫は遂に決心します。
 『これほどまでに恋続けていないで、もう迎えに行こう。途中でのたれ死んだって構やしない。』って詠うんです。

 高山の磐根を枕に…というのは、古墳はみんな石の部屋で出来ていて、石を枕に横になりますね。そのようなことを頭に描いて詠んでください。 「もう死んだって迎えに行くんだ」と言っています。

 ところが・・・
ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに
ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに

 『こうやって居続けて、あの方をお待ちしましょう。私の靡く黒髪に夜の霜がついてった構やしない。』と詠います。

 この磐姫という方は、激しい方ですねぇ(^^)。死んだって構わないから迎えに行くと言ったかと思えば、夜露に濡れたって表で待ちますわ、ですからね(^^)。

 万葉の時代には、「どうせ、あの人は来るのが遅いから、寝て待ってよ。」なんて人はいなかったそうです。みんな表に出て、恋するひとの来るのを、 背伸びして待っていたそうです。
秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 何処辺の方に わが恋ひ止まむ
秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 何処辺の方に わが恋ひ止まむ

 このような激しい愛情の持ち主ですが、四首目に『私の恋は朝霞』と詠んでいます。

 秋の田の穂の上に・・・というのは、朝早くたちこめるもやのことです。西も東もわからないもやもやとした景色です。

 「行こうか戻ろうか」思い悩み、「死んでも行くぞ」と意気込み、返して「いや待ち続けよう」と、ああ思い、こう思い、気が付けば朝になって、目の前に霞が広がっている。 もう右も左もわからない心情になって、「私の恋は何処へ向かっているのか」みたいな気持ちでしょうか。

 実は、この四首の歌は、別々に詠まれたもので、のちにまとめられたものと考えられています。万葉の時代の歌は、この歌は「私のもの」という意識がなくて、 みんなの共有財産のようになっていて、似たような歌がほかにも見られるそうです。「私にも経験あるある」といったところなんでしょうか。

 そうした文化が当時にはあった、そして男性が女性のもとを夜通っていた、女性はいつ訪れてくるやも知れぬ男性を待っていた、という恋愛の形を思い描いて、 携帯メールで「今から行くよ…」という手段があることを忘れて歌を詠むと(^^)、詠ったひとの心がよく伝わってくるのではないでしょうか。


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