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万葉の世界(10)
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あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

 万葉集を何で好きになりましたか?...と言われて、この歌を挙げる方が多いらしいですね。とくに女性に多いとか。
 この歌は、意味を考えるより、絵画的、ドラマのワンシーンのようにとらえると、作者の心が伝わってくるようです。

 作者は天武天皇の寵愛を受けた額田王(ぬかたのおおきみ)という女性が詠んだ歌です。額田王は天武天皇が即位する前、大海人皇子(おおあまのみこ)の奥さんでした。 大海人皇子は天武天皇の弟で皇太子でもありました。本来、天皇の子供が皇太子となるはずですが、その子供の母親の出身が良くなかった。 当時、家柄は厳格なものでしたから、弟の大海人皇子を皇太子にしていたわけです。これだけでも兄弟の仲は良いとは思えませんよね(^^)
 額田王はこの時、天武天皇の奥さんでした。

 宮廷あげてのレクレーションとして「薬猟り」というのがあったそうです。鹿の袋角を追って猟をするわけです。「あかねさす」は紫にかかる枕詞で、 「紫野」は紫草が生えている野のこと、「標野」は御料地のことで、同じ場所を違う言い方で表現したものです。

 弟の大海人皇子が馬に乗り鹿を追って御料地を走り回っている様子を「紫野行き 標野行き」と詠っています。 そこで大海人皇子は、額田王に向かって、親愛の気持ちを込めて、手を振ったんです。
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

 『御料地をあちらへ行き、こちらへ行きしているあなたを見ていたら、私に手を振るではありませんか。そんなことをなさっては誰かが見るではありませんか。』という意味になるでしょうか。

 「紫野行き 標野行き」で前の夫の大海人皇子を目で追っている気持ちが伝わってきますね。まだ大海人皇子を想ってらっしゃるんです。そうしていたら大海人皇子が袖を振ってくれた。 「野守」とは御料地の番人のことですが、「誰かに見られますわ」とは言わずに、「野守」と詠ったところにこの歌の面白味があると言われています。 人目をはばからず袖を振ってくれた大海人皇子の親愛の情をとても喜んでいる額田王の気持ちに、女性たちが共感するのでしょうね(^^)
紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
 これに対して大海人皇子は、こう詠います。

紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも

 『紫草のように美しい貴女を、もし憎いと思うならば、貴女はもう人妻だもの、どうして恋焦がれずにいられようか(恋焦がれずにいられないんだ)。』

 政治的な世界が背景にあって、長々と書きましたけれども、それはさておき、
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

 この短い歌の中に、愛するひとを目で追う様子とその風景、ふたりの気持ちが見事に表現された素晴らしい歌だと、私も思います。


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