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万葉の世界(4)
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あしひきの 山のしづくに 妹待つと われ立ちぬれぬ 山のしづくに
あしひきの 山のしづくに 妹待つと われ立ちぬれぬ 山のしづくに

 この歌は天武天皇の息子・大津皇子(おおつのみこ)が石川郎女(いしかわのいらつめ)と恋をしたときのもので、男性的で文武両道に長け、頭のいい男性だったと言われています。 大津皇子が亡くなったのは24歳で、この歌は二十歳の頃詠まれたものと考えられています。

 その頃、石川郎女と熱烈な恋をしていて、どこかの山で待ち合わせをしていたんですが、彼女は来なかった。彼は夜通し待っていて詠んだ歌です。

 『私は山のしづくに濡れて待っていたよ。山のしづくに濡れてさ。』

 暗い夜、木の葉が夜露に濡れて、しづくになってポタリポタリ落ちてくる様子を「山のしづく」という言葉で表現しているそうです。 ポタリポタリ…時を刻むように落ちるしづくに濡れながら、彼女を待っている動悸までが伝わってくる表現が「山のしづく」だそうです。

 言葉にも魂があります。「言霊(ことだま)」と言います。山のしづくに濡れながら、ずっと待っていたけれども、結局朝まで彼女は来なかった。
 現代だと、「ずっと待ってたのにどーして来ねぇーんだよ。濡れたんだぜ。」と怒りあらわってとこでしょうか(笑)。こうなると売り言葉に買い言葉、 「何言ってんのよ、傘ぐらい持って行きなさいよ。知らないわよ。」てなことに・・・。言葉にも魂があって、その言葉に人の心は動くんです。

 現代と違い、真っ暗な中で待っていた大津皇子は「君を待っていたら“山のしづくに”濡れちゃったよ。」(君を想ってずっとドキドキして待ってたいたんだよ)と詠います。
吾を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを
 それに対して、石川郎女は次の歌を返します。

吾を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを

 『私を待つというのであなたはお濡れになったのですね。その“山のしづく”に私はなりたかったわ。』

 男性は「ドキドキときめいて待っていた」と、女性は「あなたのそばにいたかった」と“山のしづく”を通してお互いの愛の気持ちを出している、 “山のしづく”がそれぞれの想いを持った生きた言葉となります。素敵な歌だと思います。


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