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万葉の世界(15)
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 このページは18禁です(爆)←冗談です(^o^)
 東国というのは東の国という意味ではなくて、都に対しての言葉のようです。すみません(^^ゞ根拠が分からないのですが、東歌というのは庶民の歌のようです。
 庶民が生活の中で詠んだ歌なので、気取りがなく、感情もストレートに表現されていてます。
高麗錦 紐解き放けて 寝るが上に 何ど為ろとかも あやに愛しき
高麗錦 紐解き放けて 寝るが上に 何ど為ろとかも あやに愛しき

 『高麗錦の紐を解いて、貴女と添寝をする上に、これ以上どうしろというのだ。もう愛しくて仕方ない。』

 当時の男女の愛は、肉体と一体のもので、添寝することは、そのまま愛することを意味していて、現代のプラトニックラブとか遊戯の恋ということをおよそ理解できないといいます。英語でも「make love」と言いますよね。

 この男性は、いままさに添寝をしているところで、「これ以上どうしろと言うのだ」というぐらいですから、本当に彼女が愛しくて愛しくてたまらない。 大人の男性なら、こんな気持ちを抱いたご経験があるのではないでしょうか?(^^A;
上毛野 安蘇の真麻群 かき抱き 寝れど飽かぬを 何どか吾がせむ
上毛野 安蘇の真麻群 かき抱き 寝れど飽かぬを 何どか吾がせむ

 『麻の束をだくように貴女をかき抱いて添寝をするけれども、しても足りないのを私はどうすればいいのだろう』

 栃木県では現在(いま)も麻作りが有名だそうで、5〜6月頃にかけて麻を刈ります。人の身丈ほどになるのでそれを束ねて抱き上げて収穫します。
 彼女を抱くというのを、その抱きごころにたとえているところは、生活からくる庶民らしい感覚だと思います。

 「寝ても寝ても寝足りない」とちょっと露骨なようですけど、寝るとは愛そのもので、遊びの愛ではないわけですから、 この歌もまた、彼女が愛しくてしょうがない…という感情を、気持ちのままに表現した歌と言えるのです。

子持山 若かへるでの もみつまで 寝もと吾は思ふ 汝は何どか思ふ  すみません、ついでにもうひとつ・・・(笑)

子持山 若かへるでの もみつまで 寝もと吾は思ふ 汝は何どか思ふ

 『子持山の春の若楓(かえで)が秋になって紅葉するまで、貴女とずっと寝ていたいが、貴女はどう思う』

 群馬県伊香保温泉より北、利根川の上流にある大きな山が子持山だそうです。このあたりの気候は荒く、山全体の紅葉が一気に色づき、翌日には夜の風に飛ばされてしまうほどだそうです。 その紅葉の様は、走る白バスが血で染まったように真っ赤になるとさえ言われ、山全体が真紅になるそうです。

 この歌は、たんに「ずっと(長い間)」というだけでなく、そんな紅葉の赤のような燃えるような情熱を含んでいる詠むべきであると犬養先生は書いています。

 そして「寝もと吾は思ふ」とはたんに添寝するというだけでなく、もちろん「寝てしまう」という意味でもなく、心と肉体が別々でない世界「愛すること」に通じるわけですから、 「このままずっと愛していたい」という気持ちを詠っていることになります。
 万葉の恋は、おおっぴらにはしない二人だけのものにして、それでいて二人だけの世界はたいへん大らかな感じがします。

 この歌の面白いところは、「汝は何どか思ふ」(君はどう思う?)の句があることですね。なんだか微笑ましく思いませんか?


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