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万葉の世界(16)
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 夜道には外灯のない、月明かりだけが頼りだった時代です。万葉の人びとにとって、月はとても大切なもの・・・月にまつわる歌が実に多いそうです。
夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行かせわが背子 そのまにも見む
夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行かせわが背子 そのまにも見む

 『宵闇は道が危ないから、月が出るのを待ってお帰りなさいませ。そのわずかの間でもお会いしていられます。』

 大宅女(おほやけめ)の作品です。男性が帰るのを引き止めたい気持ち・・・「夜道は危ないから、月が出るまで居てくださいな」と。 なんだか恋愛ドラマのワンシーンのような粋な台詞(セリフ)を見るような気がします。
 当時も、今も、人の心は変わっていないような気がしますね。

 今度は男性(作者不詳)の歌です・・・
闇の夜は 苦しきものを いつしかと わが待つ月も 早も照らぬか
闇の夜は 苦しきものを いつしかと わが待つ月も 早も照らぬか

 『闇の夜はなんて苦しいものよ。いまかいまかと待つ月よ、早く照ってくれないか』

 当時の闇夜は、まさに真っ暗闇。彼女のもとへ行きたいんだけれども、月明かりが欲しい。早く照らしてくれないか・・・苛立つ感情が伝わってきそうです。
 月が待ち遠しい…なんて、いまではちょっと考えられない世界ですよね。それほど当時は月が身近な存在で、恋人に会えるか会えないという切実な対象だったことがよく分かります。

 次もまた男性(作者不詳)の歌です・・・。
あしひきの 山より出ずる 月待つと 人にはいひて 妹待つわれを
あしひきの 山より出ずる 月待つと 人にはいひて 妹待つわれを

 『「山から出る月を待っているんだ」と人には言いながら、ほんとは彼女を待つ私』

 暗闇の山の中で彼女を待っているところへ、誰かが通りかかった。「月が出るのを待っているんだ。」と、とぼけて答えたけれども、 ほんとうは彼女を待っているんだ。というユーモラスな歌ですね。
春日山 おして照らせる この月は 妹が庭にも さやけかりけり
春日山 おして照らせる この月は 妹が庭にも さやけかりけり

 『春日山の一面を照らす月明かり、彼女の家の庭にも煌々と月光が満ち溢れているよ』

 男性は彼女の家まで来て、その庭を見ているところです。「おして照らせる」は大変明るい月光のさまを詠んでいます。 その中でも彼女の家の庭は煌々と月光か満ちていると詠んでいますが、彼女の家の庭だけがとくに明るいなんてことはありません。 月光には春日山を満遍なく照らしているのに、歌人は「彼女の庭は明るい!」と詠っているんですね。これは彼女への想いがそうさせているわけです。貴女は特別だ・・・みたいな(笑)
目には見て 手にはとらえぬ 月の内の 楓のごとき 妹をいかにせむ
目には見て 手にはとらえぬ 月の内の 楓のごとき 妹をいかにせむ

 『目には見えるけれども手に取ることができない月の中の楓(斑模様)のように、妻にしたくてもできない憧れの貴女を、私は一体どうすればいいのだろう』

 月の中に「うさぎの餅つき」を見るように、楓(かつら)を見るのは中国の考え方だそうです。「月桂冠」というお酒の銘柄も由来は同じだそうです。
 その楓は見ることはできるけれども、手に取ることはできない。彼女は人妻なんでしょうか、自分が妻帯者なのでしょうか、背景はよく分かりませんけど、 月の中の楓と、彼女を重ね合わせて見ている作者です。

 恋焦がれてどうしようもないといった気持ちを詠んだものですね。

 どうでしょう?夜空の月を見て、万葉の人びとは色んな恋心を詠んでいたことをちょっぴりと感じてみては?・・・ 夜道が少し違ったものになるかも知れません(^^)


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